今回は【故事成語で自己啓発しよう】ということで、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)の意味・由来、例文を紹介。最後には「 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」を使って自己啓発できる考え方を紹介。モチベーション、座右の銘の参考にしてください。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の意味
故事成語「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)
【意味】
考えの小さい人には(考えの)大きな人の理想や決心は理解できないものだということ
凡人には天才の考え方を理解できない。等
多数派の人が少数派の人を羨ましく思う時に使いますよね。Twitterでも、フリーランス・自由・年収〇〇…仕事関係ではこんなワードでしょうか?
Twitterでも、多数派の人は少数派の人の取り組みを批判する傾向があります。ただフリーランス等の少数派の人は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と心が広いですよね。批判にも柔軟に対応するかうまく無視しています。
私も心を広く、豊かにしたいです。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」ですね。
話が逸れましたが、
【例文】としては、
・燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、私たちが笑われても無視しよう。
・燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやと人を見下すのはやめよう。
また使い方としては、若者のはなむけに使われることが多いです。「我が道を行け」、「人を批判するような人に成り下がるな」…と受け取れます。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の由来
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の由来は
中国、前漢時代の『史記』に残っている陳勝(ちんしょう)の言葉です。
農夫の陳勝が仲間に「将来身分の高い者になっても、お前のことは忘れない」と言ったところ相手が馬鹿にしたため 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と言ったことが由来。
【燕】はツバメ、【雀】はすずめ、
【鴻】はコウノトリ、【鵠】はハクチョウを表しています。コウノトリとハクチョウは「大鳥の象徴」とも言えます。燕や雀はコウノトリやハクチョウの考え方を理解できない。人間を鳥に例えている面白い表現です。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」で自己啓発しよう
ここまでで「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の意味・由来・例文を紹介しました。友人等に「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」って知ってる?と自慢できるんではないでしょうか?(…私はしません)一般教養としても十分だと思います。
ここでは故事成語「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」を使って、自己啓発できる考え方を紹介します。
「我が道を行け」少数派=ネガティブではない
「我が道を行け」
もともと、若者へのはなむけとして使われていた「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」
周りの意見に流されずに自分の考えを持つ。主体的な行動をしたい。座右の銘にピッタリではないでしょうか?
私の場合は、息子を産む時に我が道を行きました。最初から産む。産むしかない。他の選択肢がない。嫁ちゃんはついてきてくれました。
→半歩間違えると亭主関白!…注意。
我が道を行くことで、いいこととしては後悔が少なくなります。
息子を産まなかった後悔…
決断をしなかった後悔…
〇〇しなかった後悔をして、くそーやればよかったなんて思うなら、是非「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」。やってみてください。
下の人を見下しても百害あって一利なし
また「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は小人物は大人物の考え方を理解できない。
上から下に見下すニュアンスがあります。ただこれを真に受けて、「私は大きい考えを持っているんだ。だから小さい考えしか持っていないあなたより優れているんだ。」
これは話が違いますよね。
大きい理想や考えが人間の優劣を決めるとは到底思えません。さらに人を見下してもいいことはありません。
私の場合は学生時代のテストの点数ですね。あの人より点数が高かったと思ったときも…結果、一時的な優越感しか残りませんでした。→自分の成長はゼロ
✔️見下す時間の無駄
✔️上には上がある
✔️周りから協力を得られなくなる
こんなデメリットしかありません。見下す時間があるなら、自己成長に時間を使った方がいい、テストの見返しをした方がいいですね。
なので、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」を座右の銘にして、
✔️相手の批判をしない
✔️相手を見下さない
こんな教訓を持って日々過ごしたら、成長できませんか?
前回の故事成語
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